1995

震災と
須磨海浜水族園

1995年(平成7年)1月17日に発生した「阪神淡路大震災」では、地震とはあまり縁がないと思われていた阪神・淡路地方が震度7という大地震に襲われました。

阪神・淡路大震災による波の大水槽の水族への被害の様子

波の大水槽での生存魚の救出作業の様子

さかなライブ館での避難生活の様子。須磨海浜水族園は震災当日から市民の避難場所としての役割も果たした。

水族園東側の駐車場は震災でのがれき置き場となった

活魚船での水族輸送作業の様子

阪神・淡路大震災で被災

阪神・淡路大震災による波の大水槽の水族への被害の様子

この大震災では須磨海浜水族園も震度7の区域内にあり大きな被害を受けました。
地震による地盤沈下により海岸に設置された取水ポンプ小屋の陥没や送水配管類の寸断、ホルマリンの液浸標本容器の破損、電気系統のトラブルなど、施設、設備面において多くの被害がありました。建築から8年が経過していた建物本体には決定的な被害が無かったこと、水槽のガラスやアクリルへの損傷が無かったことは幸いでした。

波の大水槽での生存魚の救出作業の様子

しかし、展示生物のおよそ半分が犠牲となり、その主な原因は長時間にわたる停電による水温低下と水質悪化でした。まさに水族館においても、電気が生命線であったといえます。

さかなライブ館での避難生活の様子。須磨海浜水族園は震災当日から市民の避難場所としての役割も果たした。

特に被害が著しかったのは、波の大水槽とピラニア水槽の水族でした。波の大水槽では、当時少なくとも50種類6000尾の魚類を飼育展示していましたが、停電により給気が止まったこと、また循環ポンプが止まったことによる飼育水中の酸素欠乏が原因となり、その多くが犠牲になりました。循環停止から3日目ごろより濁りが発生しはじめ、時間とともに透明度が失われ、飼育水が悪臭を放つようになりました。被災後4日目の1月21日には、前日より水抜きを開始したところ、大型のクエ・ハタ生きていることが確認され、最終的に波の大水槽で生き残った水族はわずか20数尾でした。また、ピラニア水槽では約1400尾が1月17日~18日にかけて全滅したと考えられます。

水族園東側の駐車場は震災でのがれき置き場となった

一方、須磨海浜水族園は震災当日から市民の避難場所としても役割を果たしました。本館内がホルマリン臭のため適さないと判断した為、さかなライブ館にて被災者の受入れを行いました。近隣の国民宿舎須磨荘より布団や毛布などを借り受け、さかなライブ館へ運び込み、即席のベッドを用意できたことも大きく、早期から避難所として機能することができました。また、長期避難者には、食事の提供や各種情報提供に取り組む以外にも、できるだけ声を掛け合うことで、同じ被災者として共に励ましあい、いくらかでも避難者の気晴らしとなるよう配慮をしていたそうです。早期再開の際には、避難者からの温かい声援もいただきました。

活魚船での水族輸送作業の様子